落ちてきた自転車

 自転車といえば昨今、環境に優しいやら、メタボ対策やら、マナーの悪さやらが連日のように報道されているが、この話はそういった問題以前の問題の話である。


 まだまだ寒さが厳しいある日、自転車が落ちてきた。いや、正確には自転車が跳んできた…のだろうか…? 上の道のガードレールを跳び越え、自転車に股がった人が頭上を越え落ちてきたのだ。事故か!? 驚くオレを他所にその自転車は綺麗に地面に着地…したように見えたが、タイヤの弾力によりバウンドして体勢が崩れ、無惨な音をたて着地した。
 「お、おい! 大丈夫か!?
 いくら無関係な人間とはいえ、目の前でこんな事故が起きたなら声をかけずにはいられない。
 「…っかーーー! やっぱダメか! 着地出来んな!」
 事故った当の本人はむくりと起き上がるなり何事もなかったかのようにそう叫んだ。まさか…自分から跳び降りただと!? あり得ねぇ…。落ちてきた奴と目が合うと、そいつは苦笑いして、「ショートカットしようと思ったんじゃけど、無理じゃったな。」と言い放った。ショートカットって…。ますますあり得ない奴だ。
 そいつは体についた砂を粗っぽく払い、倒れた自転車を起こした。髪が短くスポーティーな服装で最初は男かと思ったが、胸があったので女の様だ。
 「驚かせてすまんな。じゃ。」
 そいつは手を軽く挙げると、何事もなかったように走り去ってしまった。取り残されたオレはただ呆然とそいつが見えなくなるまで突っ立っていた。
 翌日、違う道を歩いていると遠方でまた彼女が跳んでいるのが見えた。バカだろ。何も見なかったフリをして、そのまま歩き続ける。しばらくすると彼女とすれ違った。そして彼女はオレの後ろにある崖から跳び降りようとしている。
 「まてまてまてまて!!
 驚いて思わず彼女の襟首を掴んで強制的に引き留めた。
 「何また跳び降りようとしてんだよ! 自殺行為か!?
 「えー? せんないじゃん、素直に道走るなんて。」
 「怪我よりマシだろ!」
 そう言っても彼女は不満そうだ。
 彼女の気持ちもわからなくもない。この町は急な山の斜面を切り崩して出来たものだ。だから坂道が多く、しかも折り返しながら続いてるものが多い。オレも小学生の時はよく崖にしがみつき登り降りしてショートカットしたものだが、それでも自転車でやるのは無謀だろ。
 「むーー。…しゃーねぇなぁ。」
 オレを見て放す気が無い事を悟ってくれたようで、自転車を正しい進行方向へ向けた。
 「でも絶対いつかショートカット出来るようになってみせるぜ!」
 おい、こら!
 また奴の襟首を掴んでやろうとしたが、時既に遅し。彼女は颯爽と正しい道を走り去ってしまった。

 それからも度々彼女が跳んでるのを見かけた。相変わらず着地は成功せず、彼女と会う度に注意してやった。お節介のようだが、事実は見てるこっちの身が持たないからだ。最悪自分の上に落ちてきたらたまったもんじゃないからな。そういう訳で知らず知らずのうちにオレ達は親しくなっていった。彼女は同い年で他校生だと知った時は、ちょっと安心したりもした。学校でも振り回されたらたまったもんじゃない。

 しかし、ある大切な日にオレはとんでもないヘマをしてしまった。
 「母ちゃん! 何で叩き起こしてくれなかったんだよ!」
 「起こしたよ! グーで! それでも起きないんだから! そもそもアンタが夜更かしするから! 前日は早めに就寝って決まってんでしょ!」
 「やべ! 行ってきます!」
 慌てて荷物を抱え家を飛び出し駅へと走っていく。こんな時に限って自転車は修理中だ。折り返しながら続いてく坂を丁寧に下っていく。この時ほどこの坂を怨めしく思った事はない。いっそ跳び降りてやろうかと考えた時、後ろから自転車のベルが鳴った。
 「よ! 何しょーるん? 今日私立の受験じゃろ?」
 彼女も今日が受験日の筈だか、オレよりもえらいのんきだ。恐らくコイツは受験会場が近いんだろな。つーか、こんな事考えてる場合じゃねぇ! オレは半分彼女を無視する形で走り出そうとした。しかしその前に彼女が救いの言葉を言ってくれた。
 「駅行くんじゃろ? うちもじゃから乗ってく?」
 おおおおー! この時程自転車かっ跳び娘と親しくなってよかったと思った事はなかったぜ! オレは遠慮なく自転車の後ろに乗らせて貰う。
 「ほんじゃ、行くで。」
 彼女は地面を蹴って自転車を走らせ始めた。二人分の体重もあり、自転車はどんどんスピードを上げて坂を下っていく。これならギリギリ間に合いそうだ。安心してため息をつきそうになった時、彼女の背中越しにオレを不安にさせるものが目に入った。
 「あの…もしかして…」
 「しっかり掴まりんさい。急ぎじゃろ、ショートカットすんで!」
 「まてまてまてまてやめろやめろやめてー!」
 彼女はオレの叫びを無視し、やりやがった。
 自転車は二人が乗っているとは思えない程軽やかに持ち上がり、

 崖を跳び降りた。

 絶句。
 彼女は至って普通の顔をして着地点を見定める。
 そして二人を乗せた自転車は地面に着地した。しかし、今までの衝撃の積み重ねか、それとも二人分の体重が堪えたのか、…どっちもありそうだが…、着地したと同時に自転車が悲鳴をあげるようにメキメキと音をたて、崩れ落ちた。部品が慣性に任せて転がっていく。憐れ、自転車…。
 しかしお陰で? 駅は目の前だ。
 「お前はうちに構わず先に行け!」
 彼女がどこぞのゲームの名台詞風に叫ぶ。
 「当たり前だ! つーか跳ぶな!」
 オレは全く躊躇する事なく彼女を置いて駅へと走っていった。

 その後、結果的には試験には間に合ったが受験には落ちた。滑り止めだったから別に気にしちゃいないが、そのせいで公立のレベルをひとつ下げざるを得なくなり、オレは電車に乗らなくても行ける所の学校に通う事になった。
 何となく自転車に乗る気じゃなくて、歩いて新しい学校へ向かっていく。その時後ろから肩を叩かれた。振り返るとあの日以来見かけなかった彼女が立っていた。…そういやコイツが制服着てるの見た事なかったな。スカート姿の彼女を新鮮な目で見ているとある事に気が付いた。
 「あれ、自転車は?」
 「はは…、しばらく自転車買うてもらえそうになくての…」
  そりゃそうだ。あんな使い方した挙句結末があれじゃあな。
 「ま、しばらくは歩きじゃけど、これからもよろしくな!」
 その一言でもう一つの事に気付く。コイツの制服、オレと同じ学校じゃん! 思わず大きなため息をついてしまった。

まぁ、しばらくは自転車が落ちてくる事はなさそうだ。

公開日 13.07.15.


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